寺西:野口さんは、今まで何度も大変な局面を乗り越えてきましたが、逆境の乗り越え方はありますか。
野口氏:学生の頃はスポンサーのワッペンをつけるとプレッシャーを感じてましたね。何が何でも登頂する、失敗は許されないと思って。それは世間体もあれば、人に批判されたくない、テレビ局がお金をかけて同行してるのに申し訳ないという気持ちが強かった。だから、キャンプ地で多少天候が悪くても山頂へのアタックをしてしまいがちなんです。要はイチかバチかに賭けたくなる。しかも、誰か1人が「やっちゃおうぜ」と言うと集団心理で、みんな目をギラギラさせて「行こう!」って雰囲気になるんです。だけど、それが大量遭難に繋がっていくんですよね。
寺西:確かに人は、勢いや、その場の空気で期せずしてそうなりがちですね。
野口氏:人の人生には必ず終わりが来るわけで、晩年、自分の人生を振り返った時にトータルで51点だったら人生はうまくいったんだ、と。そう思えるようになった瞬間、すごくラクになれました。
寺西:49パーセントが失敗でも、そこから学ぶことは多いですものね。
野口氏:そうなんです。よく講演で成功体験を話してほしいと言われますが、10分で終わってしまいます。失敗談だったらいくらでも話せるんですけどね。
寺西:私も失敗したことのほうが覚えています。やはり社員が全員喜ぶような結果というのはなかなかないです。ただ、社員とその家族も背負っていますから、あまり浅はかなことはできないので、できるだけいろいろな情報を集めて考えた上で決断しているつもりです。そして最後は、自分がこうありたいという方向へ持って行くしかないんです。
野口氏:環境保護の取り組みとしてエベレストや富士山の清掃活動をやってきましたが、始めた時はゴミが多いし、人はなかなか集まらなかったので果たしてこれに意味があるんだろうかと思ったんですね。でも、清掃を10年、20年続けていって綺麗になった山を想像してみるんですよ。そんなイメージができれば、大丈夫です。
寺西:野口さんにとって人生で一番影響を受けたのは何ですか。
野口氏:15歳の時に初登頂した八ヶ岳の天狗岳で、これが僕の柱になっています。例えば、30代後半にエベレストで雪崩に巻き込まれて首を痛めて一度山から離れたことがありました。その時はモチベーションは上がらないし、富士山の清掃もイヤになっちゃったんですね。そんな時は、僕の原点でもある八ヶ岳に登った時と同じ宿の同じ部屋に泊まるんです。ゴロンと寝転がって見た天井も、宿の親父さんもオカミさんもだいぶ年季が入ってるけど変わってない。そうすると、パァーンと15歳の頃の自分に戻れるんですよ。初めて買ったピッケルで初めての雪山に挑戦した時の、あのワクワク感がすぐに蘇って来て再び気分が上がってきます。
寺西:なるほどですね。確かに私にとっても、まだ専門知識があまり無かった頃に、自分なりに勉強した資料や問題を解決できた時の体験は今でも印象深いです。脳裏に焼き付いていて、ふと思い出すことがありますが、もう一度モノ作りに対する当時の高揚感を呼び起こされます。
野口氏:そういう意味では、若い社員の方たちに先輩たちがもっとモノ作りの夢を語っていくのは大事だと思います。
寺西:特に工場の人達は一生懸命生産業務に取り組んでくれているんですが、その製品がどこでどう役立っているのかの情報を共有しきれていません。今後、世の中でどう役立っているかをもっと伝え、仕事に誇りを感じてもらえるようにしていけたらと思っています。